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zoom RSS 生存中に会い損ねた、三人の方々(雑談)

<<   作成日時 : 2018/10/10 19:50   >>

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本日、10月10日に佐々淳行さんが亡くなられたと
知りました。
本当に残念です。
私の中で、日本最後のサムライと言えば、佐々さんでした。


「私を通り過ぎた政治家たち」が2014年の発売で、
その巻末に2013年で事務所を閉じたことが書かれていたので、
もう亡くなるのも数年内と覚悟はしていましたが。
(後にも書きますが、木田先生の本のあとがきと
類似していましたので)





佐々さんは伝説的な警察官僚だった方ですね。
あの安田講堂事件や、あさま山荘事件の指揮も取られた方で、
映画にもなりました。
昭和天皇の大喪の礼も、佐々さんがされたのでしたね。





思えば、私が本を読んで「一度はお会いしたい」と思っていた方が
3人いらっしゃいました。

司馬遼太郎、木田元、佐々淳行。
そして、結局三人ともお会いする機会もなく、
みんな亡くなられてしまいました。。。

それなりに多くの作家、本を読んできましたが、
私の現在を作り上げたのは、
この三人の方々の本である気がします。

私は頑固でプライド高い性格ゆえか、
生身のお会いした人間よりも、
本というある程度距離があった方が、
素直に筆者の言うことを受け止められたからでしょう。


佐々さんのご先祖は、
信長配下の猛将、佐々成政と言われていますね。
おじいさんは佐々友房
西南戦争では西郷側で戦われて、後に衆議院議員。
このおじいさんも司馬遼太郎の「翔ぶが如く」にも
お名前が載っておられます。


妙な縁と言えば、木田先生と、佐々さん。
木田先生は本籍は山形です。
満州に移住した後なので近い親戚もみな満州だったわけですが、
母方の伯父さん(松木侠)で後の鶴岡市長(第8代)を通してのご縁なのか、
当時山形の鶴岡市長(第6代)の加藤精三さんのお力で
鶴岡市役所の臨時雇いをされています。(当時18歳ぐらい)

この加藤精三さんの息子さんが、
総理候補でもあった加藤紘一さんですね。
「加藤の乱」で記憶されている方も多いと思いますが。

この加藤紘一さんが防衛庁長官時代に彼に邪魔されて、
佐々さんは防衛事務次官になれず、
防衛施設庁長官で退官されているんですよね。
(この件については、「わが上司 後藤田正晴」 文春文庫 参照のこと)




上述の関係で、木田先生は加藤精三、紘一について
著作の中で好意的に書かれています。
一方、当然ですが佐々さんの本の中では加藤紘一氏は
ボロクソ書かれています(笑)


友達の友達と気が必ずしも合わないように、
尊敬する人物同士も、必ずしも気が合うかどうかは
別なのかもしれませんね。


木田先生は2014年に亡くなられましたが、
その数年前の2008年から2010年ぐらいに
出版された本のあとがきを読むと、
死が迫っていることを感ぜざるを得ませんでした。

佐々さんの2014年の「私を通り過ぎた政治家たち」のあとがきも、
同じことを感じましたね。



























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